マレーシア観光行くならコタバル!日本人として行きましょう。
マレーシアのコタバルって聞いた事ありますか?
タイと国境を接したケランタン州の州都です。
ちなみに、マレーシアの国王は、州ごとのスルタン(王様)が持ち回りで、五年ごとに交代するんですが、今の国王は、このケランタン州のスルタンなんです!!
ケランタンはイスラーム色が強くて、金曜日が公共の休日なのはもちろん、
なんと映画館まで無いんです!!
公共の場で男女が一緒になるのは良く無いからだそうです。
そんなコタバルですが、多くの人は、プルフンティアンに行くための通過点として通り過ぎてしまうのですが、勿体無いほど魅力にあふれています。
今回はコタバルに来たら行った方が良いというか、日本人だったら行くべき場所を紹介します。
パンタイ・サバ(Pantai Sabak)、プラウ・パック・アマット(Pulau Pak Amat)
多分みなさん聞いた事ないと思うんですが、
ここ、歴史上、特に日本の歴史上めちゃくちゃ重要な場所なんです。
というのも、ここ、第二次世界大戦の時、一番最初に日本軍が攻撃した場所なんですね。
そう、コタバル上陸です。
私はずっと、真珠湾攻撃が一番最初の攻撃だと思ってたんですが、実は違って、
真珠湾より2時間くらい早く、奇襲攻撃かけたのが、ここコタバルなんです。
興味のある方は、国立国会図書館デジタルコレクションにある大東亜戦史マレー作戦という本を読んで見て下さい。
ネットで無料で読めます!!
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1450644/25?tocOpened=1
タイトル 大東亜戦史マレー作戦
著者 朝日新聞社
出版地 東京
出版社 朝日新聞社
出版年 1942
日本軍はコタバルから上陸して、自転車で南下して、シンガポールを攻め落としたんですね。
その最初の上陸地が
パンタイサバ(Pantai Sabak)、プラウ・パック・アマット(Pulau Pak Amat)
なのです。
軍歌の「戦友の遺骨を抱いて」で歌われている、
一番乗りをやるんだと 力んで死んだ戦友は、
このパンタイサバで亡くなったのかななんて、
色々と思いを馳せる場所です。
今現在は何もありませんが、プラウ・パック・アマットに行く途中の道に
こんな看板がありました。
ちなみにコタバルの人はみんな、日本軍が最初に攻撃したのがサバ海岸だって知っていました。
日本人が最初にアタックした海岸に行きたいって言ったら、誰でも場所教えてくれると思います。
行き方
パンタイサバ(Pantai Sabak)、プラウ・パック・アマット(Pulau Pak Amat)までの行き方ですが、コタバルのバスターミナルからパンタイサバ行きのバスが出てます。
プラウ・パック・アマットは、パンタイサバの手前にあるので、
パンタイサバ行きのバスに乗って、途中で降りてから、歩いて行きます。
30分くらいかかりますが、途中で安くて美味しい揚げ物屋さんがありました!!
バナナ、魚のすり身、ドリアンなんかの揚げ物がありますよ。
オススメです。
バスでも問題なく行ける場所ですが、
時間が無い人はタクシーで行くのが便利だと思います。
戦争博物
ちなみに、コタバルには戦争博物もあり、
コタバルから南下する時に使った自転車なんかも展示してあります。
コタバルバス停から徒歩10分くらいで、ここに行ってから現地に足を延ばすと理解が深まると思います。
パンタイサバもプラウ・パック・アマットも、今は何も無いただの海岸です。
でも、日本人として、ここを訪れる意味はあると思います。
是非1人でも多くの人が訪れる事を願って、この記事に代えさせて頂きます。