旅の始まりはTree Of Life
Tree Of Life
イスタンブールにある日本人宿、ツリーオブライフ。
閉店したって旅人に教えて貰ってびっくりこいた。
ツリーオブライフは、私が海外バックパッカーを初めて一番最初に泊まった宿。
2007年2月。
その頃はもうすでにトルコの物価も安くはなくて、すごい高いと思いながら旅してたっけ。
平均で1日3,000円くらい使ってた。
それを横目に、韓国人のバックパッカーが、ガンガン買い物してて、ウォン高なのさ〜なんて自慢してたね。
嗚呼懐かしい。
昔はこうだった!って言うのも野暮ったいんだけど、時々無性に昔の話がしたくなる。
昔ったって、2007年だから、もっと古い人はたくさん居るのは分かってる。
でも、私が海外旅を始めたのは、2007年トルコからで、やっぱり、最初に行った旅が忘れられない。
全ての基準になってる。
そうゆう人いないかな。
初めての海外バックパッカー。
親は「海外に行ったら殺されるに決まってる!」って思ってる人だったから、散々ビビらされて行ったけど、そんなの全部ウソだった。
まあ、確かにさ、人に言えない話くらいいっぱいあるさ。
バックパッカーやってる人ってみんなそうでしょ。
ブログのネタだって、こうゆう「人に言えない話」を書くのが一番面白いんだろうけど、やっぱ書けないねえ。
でも、まあ、今も元気に生きてるし、海外は怖いってのは本当に全部ウソだった。
しかし、初めてのバックパッカーの私はビビって、空港送迎サービスまで頼んだっけ。
大学生の春休み。
ツリーオブライフに着いたら、あやしい人達がいっぱいいて、めちゃくちゃ怖かったっけ。
今なら、私もあやしい人間側だから分かるが、ピッチピチの女子大生バックパッカーには、めちゃくちゃ怖いっていうか、沈没してる人達はイスタンブールまで来て何やってるんだろう…って呆れて見てた。
だから、トルコ西側一周してイスタンブール戻ってきても、ツリーオブライフには泊まんなかった。
逆にもっとあやしい宿泊まったけど。
多分モグリでやってる空気の淀んだ怪しい宿。
男女混合ドミで、日本人はおろか、東アジア人は誰もいない。
今思い出しても怪しい宿だった。
嗚呼、懐かしい。
コロナの影響でどこも行けないから、こんな昔の事ばっかり思い出すのね。
イスタンブールに最後に行ったのは2010年だったかな。
あれから10年たっちゃったね。
もし、バックパッカーデビューの頃の私に会ったら、「沈没も楽しいよ!」って言いたい。
言っても信じないね。